旅行鞄にクリスティ

日々のあれこれを忘れ、手の届く贅沢で自分を甘やかし明日への活力を養うブログです。バッグにアガサ・クリスティを詰めて行く海外旅行が最大のご褒美。


【本】『もの言えぬ証人』(アガサ・クリスティ/ポアロ) ― お犬様



『もの言えぬ証人』☆☆☆☆★

お決まりの、資産家の老人の遺言状にまつわる殺人事件です。☆4つつけましたが、大部分は犬によるものです。『もの言えぬ証人』=犬がこの話のハイライト。犬可愛いよ犬。以上。推理小説としてはどうだろうか…と思う部分が多々あります。多分納得いかない人も多いのではないでしょうか。私は推理はおいておいて普通の小説として読んでいるので割と好きな話ですが。

とりあえずあらすじ―

ポアロの元に、マーケット・ベイシングに住む老婦人から”絶対秘密を要する私事”の解決を依頼する手紙が届く。犬のボール事件に関するということ以外に具体的な内容は書かれておらず、とりあえずマーケット・ベイシングへ向かったものの、老婦人は2か月前に死んでおり、売家となった邸宅では犬が吠え声をあげていた。

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家に人が近づくとオラオラオラオラと吠えまくり、近くに来るとボールをくわえて遊びに誘い、置いてかれた日には ”ひでえ野郎だ!” と不満の声をあげ、一人寂しく階段でボールを転がして遊ぶ。ワイヤ・ヘア・テリアのボブ君(6か月)が可愛すぎてもう殺人とかどうでもいいですね。ヘイスティングスはいい遊び相手になって好かれているけれど、ポアロはさほどでもないのがいかにもありそう。ドラマだとやたら猫が出てくるけど、やっぱりクリスティは犬ですよ犬。ちなみにこの話は犬だけではなく、こわっぱ探偵どもの嘘なんかお見通しで、ヘイスティングスの脇腹に傘を突き刺し「ハーイ!」と満足げに挨拶をする淑女キャロライン・ピーボデイさん(70過ぎ) も可愛い。へーベルハウスか。

いったい事件が何なのか、そもそも事件があったのかもわからないまま捜査を始めるというのは、同じくクリスティの探偵ミス・マープルの『復讐の女神』をちょっと思い出させます。そういえばあちらも死者からの依頼。ただあちらは過去に葬り去られた事件で、こちらはポアロが間に合わなかったためこのままでは完全犯罪にされそうだった事件というのが大まかな違い。

アガサ・クリスティ 作品・感想一覧はこちら
⇒ドラマ感想はこちら:【ドラマ】名探偵ポワロ『もの言えぬ証人』 ―ボブ💛

以下ネタばれあり

犬


私は前述のとおり話としてはは好きなのですが、読後感にそこはかとなく嫌なものが残るのは、犯人の人物像のせいだと思います。本書内でも書かれているとおり「殺人犯は感じの良い人物である場合が往々にしてある」というがアガサ・クリスティの本での定説ではありますが、この作品の犯人ベラはそれとは異なりじとっとした陰気な犯人です。器量も頭も特段良くなく、地味で子供の面倒をみるだけの、善良で献身的で平凡で退屈なハサミ虫のような女性。ハサミ虫のようってすごい例えを思いついたもんだ。身近に派手に遊び回る美人で女性としての魅力のある従兄のテリーザがいて、ベラはお金がないので彼女のファッションを安物で懸命に真似している様子を周りに憐れまれている、なんとなく可哀想な女性―

のように見えるのですが、その献身的で平凡な態度の下には、本当は我儘で高望みをするもそれがかなえられず妥協を強いられている、じっとりとした劣等感が隠れており。子どもに関心を注ぎ自分を慰め、自分が理想の生活をできていないことに見ないふり・気付かないふりをするも、日に日につのる今の生活への不満。愚鈍と狡猾さは紙一重、と書かれているように、一見なんでも夫任せで献身的にふるまっていますがそれも計算の上。そもそも妥協の上での結婚なので夫の事をたいして好きではないが、能力もないから離婚もできず、あてにしていた親戚の遺産が入らなくなって離婚する手立てもなくなるとなるともう我慢ができず、遺産をもらったミス・ロウスンに取り入り、用済みになった夫は罪を着せて殺そうとする。遺産狙いの殺人犯は自分勝手なものですが、この犯人が特に人を嫌な気分にさせるのは、自分の無能を棚にあげて自分の不幸を人のせいにし、パンのどっち側にバターがついているかをじっとみて取り入る陰湿さがあるから。

ただその一方で殺人云々をぬかして考えると、なんとなく読んでいて自分にも刺さる部分があります。良い生活がしたいというのは普通の欲求で、そして自分より「格上」と思われる女性が身近にいて、しかしそういった生活を送るほど自分には魅力も能力もない。淀んだ欲求が溜まっていく部分は、あまり認めたくはないですが、共感できる部分もあるというか。嫌なものを感じるのはこのせいもあるんでしょう。こういう風になりたくない、というより、こういう風な人だと思われたくない、そんな感じ。ベラは犯行がばれた後は子どものことを考えて最終的には自殺をし、また夫の「私にはよすぎるほどの女でした」の言葉から考えても、きっと不満がつもりにつもる前までは自分も夫もだましだましながらそれなりに上手くやれた時もあったのでしょう。なんとなく、どこかできっかけがあれば、幸せになれたのではないかと思えるのが惜しい。

で、結局証拠はミス・ロウスンが見たブローチだけ…?しかも鏡で見てさかさまなのに気づかなかったし、ちょっと証拠としては貧弱な気もする。あとはポアロとの会話の駆け引きから推測するということになるので、全体的に推理部分は腑に落ちない感じ。そもそもなんで手紙の裏に事件があるかもしれない程度でそこまで動くのか(そうしないと話にならないですが)、そしてどこで犯人と判断したのかがいまいち納得できない。なのでベラが犯人と言われても、そういう解釈もある、という感じにしか受け取れずにちょっと説得力がないのですよね。

依頼人が死んでいるのでポアロに報酬を払う人もいなく、死体発掘も無く警察も知ることなく、世間的には事件は無かったことになっているので名誉にもならないですが、そのかわりボブ君(6か月)をゲット。しかしそのボブもヘイスティングズの方に懐いてとられてしまい、タダ働きに。これが退職祝いとなったのか、良いもん貰ったからもういいよね、とお払い箱にされたかどうかは知りませんが、以降ヘイスティングズは最終作『カーテン』まで登場せず。さよならヘイスティングズ。可愛いお嫁さんと犬と南米でお幸せに。



 
       
 
         
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